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天の恋、地獄の恋 映画「ノートルダムの鐘」より

 いつも大洗の飯テロの話題ばかりで代り映えのない金町広小路になっているので、たまには恋愛の話でもしてみましょう。
 思春期の頃、ふと自分は恋に落ちていてもうどうしようもない、きっとあの人が好きなんだろうけど告白もできずに悶々としている、そういった経験はお持ちではないでしょうか。相手は別の人が好きなのをわかっていて、それでも相手に伝えるしかなくて、結局のところ2週間くらい失恋でふさぎ込んでしまった、というような苦い記憶を思い出します。色々な経験を経てやがては自分のパートナーを見つけ、大人になっていくものですが、昔からやはり恋愛下手な人は沢山存在します。自分の容姿に自信がない人はもちろんのこと、仕事や趣味など自らの信条に忠実で他人と恋愛に至るような接触をあまり取ってこなかった人もいるでしょう。思春期に済ませているはずのこういった苦い経験を大人になってから直面すると、既に形成しきった人格の中で恋愛は強く疎外され、時には敵として認識されます。

 最近はチャレンジングなディズニーアニメは減ってきたような気がしますが、1990年代はディズニー作品が人種差別やいわゆる第三世界の伝承を取り上げるメッセージ性の強い作品が何作品か作られました。自分は子供のころよく「ポカホンタス」を見ており、白人とインディアンの対立から発展していったアメリカ社会に興味を持ち、「ダンス・ウィズ・ウルブス」も観ました。これらの作品は批判も強く、そもそもディズニーが世界中の寓話をアメコミ風アニメに作り替えることを悪とするような論調もたまに見かけますが、色んな作品を子供に知ってもらうという点では当時のディズニーはかなり健闘していたように思えます。

 「ノートルダムの鐘」に興味を持ったのは劇中の「Heaven's light / Hell fire」という曲です。鐘楼に引きこもっていたノートルダムのせむし男「カジモド」が初めて女性と出会って光明が差した、という内容と、最高裁判事のフロローが敵であるはずのジプシー女「エスメラルダ」にただならぬ思いを抱いてしまっていることを聖母マリアに尋ねている、という「対」になっている曲です。ディズニーはヒロイン・敵役(ディズニー文化ではヴィランと呼ばれてるそうです)の二項対立を表現するのがうまくて、先述した「ポカホンタス」の中に登場する「Mine Mine Mine」という曲もヒロインとヴィランが韻を踏みながら交互に歌う名曲になっています。

 この曲を知ってアニメ全体に興味を持ち、そういえば「ノートルダムの鐘」はまだ見てなかったなあと思ってTSUTAYAで借りてきて視聴しました。いやあ、曲が本当に素晴らしい。ディズニーの歌劇風アニメが結構好きなんですが、「ノートルダムの鐘」は同じテーマが繰り返し登場して好みの作風でした。ちょっと暗めのテイストもそそります。
 さて、予想通り「Heaven's light / Hell fire」がストーリーの根幹を担う曲で、注目したいのはヴィランのフロローがエスメラルダへの恋心を独白するシーンはアニメ全体でもこの曲だけ、というところです。ストーリー上とても大切なことなのですが、その他のシーンではフロローは徹底して自己中心的な差別主義者、悪者として描かれています。彼がいわゆる人間らしさをちらつかせる大切な曲なんですよね。

 ディズニー映画「ノートルダムの鐘」の感想を書いているブログやサイトを覗くと、よく「フロローは他のヴィランと違い、徹底した悪役なのに、自分のことを悪いとは思わず自分の主義主張だと思っている」と書かれているのをよく目にします。確かに、「ライオンキング」のヴィラン「スカー」は自分の作戦を「卑劣な行為」だと自分で歌っちゃってますからね(Be prepared歌詞など参照)。ディズニーのヴィランの中でも特に悪い奴フロロー、極悪人フロロー、本当のモンスターがフロロー、というのがディズニーの作ったフロロー判事の立ち位置なのです。一つだけ、「自らの信条で童貞を貫き通したフロロー」なんて書いてあるサイトはありましたが。

 エスメラルダに恋したのはカジモドもフロローもフィーバスも同じです。確かに主人公がサブキャラのフィーバスにヒロインを取られてしょげるという展開はディズニーアニメでは珍しいですが、カジモドとフロローの関係はディズニーによくあるヒーローとヴィランの二項対立に落ち着いています。これこそ、ディズニー版「ノートルダムの鐘」の特徴であり欠点、と言うべきでしょうか。

 はっきり言ってしまえば僕はフロロー判事にかなり同情しました。エスメラルダの布を頬に摺り寄せる気持ち悪いシーンとか(笑)、冷淡残酷にパリを焼き尽くすシーンなどヴィランきってのヴィランとして映画では描かれていますが、彼自身は自らの立場とエスメラルダへの恋心というさなか、ひどい葛藤があったはずです。それは彼にとって初めての恋愛という感情だったでしょう。自らが駆逐してきたジプシーの中に見出した謎の(恋という)感情を、地獄の業火の中で踊るエスメラルダという形で曲では表現しています。つまり、「Heaven's light / Hell fire」という曲自体はディズニー的な二項対立の曲と思わせておきながら、恋愛という魔法が魅せる同じものの二つの側面にすぎない、ということでしょう。それを天国と受け取るか地獄と受け取るかはその人次第なのです。

 エスメラルダを自分のものにしたい、しかし判事という立場上そんなことはできない、いっそ全てを焼き尽くすしかない……、という心境変化がフロローを暴走させたもので、存在自体が悪である旧態依然のディズニーヴィランとは違い、とても人間的な感情だと思います。ジプシー=悪魔の所業に自分は惑わされており、それを始末しなければいけないと表現したのは宗教的で実に良くできた設定です。そこのところを曲以外でもちゃんとストーリーとして書き込んであげればなあ、と思いましたが、そうしないのが子供向けディズニー作品なのでしょう。繰り返しますが僕はディズニー作品を批判するつもりはなく、その功績は偉大だと思っています。今回の「Heaven's light / Hell fire」という曲も考えれば深い曲だなあと思いました。

 「ノートルダムのせむし男」の原作では悲劇的な結末を迎えますが、まあちょっとしたハッピーエンド仕立てにするのもディズニー流。イケメンのフィーバスがいいところどりする展開はああやっぱりイケメンが最後は勝つんだなあと思いましたが、まあ、ノートルダムの天罰がフロローに下った、というストーリーは単純明快ですっきりします。何より、子供の頃一度訪れたノートルダム寺院の荘厳な雰囲気に浸れてとても懐かしかったです。

 僕自身も恋愛経験が決して豊富な方ではありませんし、引っ込み思案なカジモドにも自らの主義主張との呵責に悩むフロローにもどちらにも感情移入をしてしまいました(決してイケメンではないのでフィーバスには感情移入できませんでした)。ひどく悩み、いっそ死んでしまえばいい、そんな苦い恋愛経験を持っている人は決して少なくないでしょう。まあでも、まだ天国へ行くのも地獄へ行くのもちょっと早いです。まだまだ見てない作品がありますし、書きたい文章がありますからね。

by kikuties12 | 2017-10-08 21:10 | 映画  

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